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大和田:お二人から、それぞれの現在の活動についてお聞かせください。

「曽根原久司さんは、「NPOえがおつなげて」の代表でいらっしゃいますが、現在ご自宅は、山梨県北杜市白州町に、またそこから車で20分ほどのここ須玉の「古民家開拓館」や、さらに40分ほど行った須玉町増富を活動拠点とされているわけですが、そもそも1995年に東京から白州に家族で移住し、田舎暮らしを始め、そして2001年にNPOを設立され、2003年から増富地区で活動を始めるところまでお話いただけますでしょうか。」

インタビュアー:大和田順子

曽根原:はい。東京から山梨県の白州町に移住してきて、まず始めに田舎暮らしを始めました。1995年に移住して、土地を買い、家を建てて、1996年から文字通り田舎暮らしを始めました。移住してきた翌年には、100坪の空いている農地を借りて、家族で食べる野菜をつくる自給農園を始めました。それと同時に、我が家は薪ストーブで暮らしていまして、その薪も自給しようということで、近くで働いている林業のおじさんの所に手伝いに行って、余っている薪をもらいました。このようにして、食料とエネルギーの自給を行う暮らしを始めました。

大和田:どうしてそんな暮らしを始められたんですか?

曽根原: 二つのバブルが崩壊したんです。日本には昔経済バブルというのが存在しました。1980年代後半ですね。その後バブルが崩壊しました。当時私は銀行のコンサルタントという仕事をしていたんですが、それと同時に健康バブルも崩壊しまして。そこでやっぱり社会を見直し、自分の生活も見直さないといけないと感じるようになりました。またこの時、妻の健康バブルまで崩壊しまして。私が銀行の経営指導をしていたのですが、それを通して、日本経済の行く末が手に取るように分かりました。要するに「もうこれはダメだな」と。日本が戦後培ってきた経済構造はダメだな、と。1992~1993年くらいに銀行が倒産するのは明らかだったんですね。その中でもマスコミ上ではその情報が出ていなくて、それもマズいなとずっと思っていました。案の定、その5年後、1990年後半にはどんどん銀行がつぶれていきました。某長期信用銀行が私のクライアントだったんですが、そこも無くなりましたからね。 その頃、経済発展が目覚ましかったのは中国で、日本の培ってきた製造業も、中国が奪って行くということも分かっていた。一方で、もう少し先、20年スパンで考えると、世界的に資源が厳しくなってくると。エネルギー資源、食料資源など。これも様々なデータを見てみたらわかりますからね。

日本はトリレンマを抱えている。結局は仕事が無くなるし、雇用は厳しいだろうなと。 そう考えているうちに、この中でも何かいい、新しいことは出来ないか、と思ったんです。自分と妻の健康を回復する、という目的も果たせるような。ふと、それは農村にあるんじゃないかと。第一次産業と農山漁村が活性化すればこの3つがクリアするんじゃないか?と直感的に感じるようになり、いろいろ調べて行くうちに「これはいけるんじゃないか?」と思い始めました。それから、いろいろな計画を作り始めました。計画を作っていたら、なんだか自分でやってみたくなってしまって。都会にいて計画を作っていても埒があかないな、と。モデルが無かったんですよね。都市と農村で交流しながら農村資源を活用して新しい経済構造を作って行く、というモデルが。なので自分自身で移住して、やってみようと思ったんです。

大和田:二つのバブルの崩壊は、その後、どうなったのでしょうか?
曽根原:健康バブルは、百姓仕事をしていたらすぐに良くなりました。経済バブルは、日本の経済構造は変化していないし、まだまだだと思いますね。

大和田:「続いて西辻一真さん。まだ27歳とお若いのですが、西辻さんは現在、「マイファーム」という会社を京都に本社を置いて活動されています。都市近郊の耕作放棄地を管理し、インストラクター付き菜園として一般市民に貸し出す事業をされています。2007年の創業ですから、まだ3期目ですね。にもかかわらず、現在、関西を中心に全国で40か所、合計40haの農地を管理し、利用している会員は約1,800人、菜園のインストラクターは26人とお聞きしています。急拡大ですね。都市近郊にも耕作放棄地があるとは驚きましたが、そもそもなぜそのようなビジネスを始められたのでしょうか。」

西辻:いちばん最初のきっかけの話をしたいと思います。1982年生まれですから、僕らはバブルを知らないんです。暗黒の世界しか知らなくて、全然いい思いをした気がしないんです…。僕は福井県の三国町、そこで生まれ、高校に通っていました。昔から「なんで?なんで?君」だったんですよ。電車に乗っているときに「この電車、一時間一本しか無いのに、何故動いているんだろう?」とか。昔から経済的な視点からいろいろなことが気になるタイプだったんですね。タバコ屋さん、なんでつぶれないんだろう?とか。その中で、使っていない畑がたくさんあって。何故使っていないんだろう。これ、使っていきたい、と。高校の頃そう考えていて、当時はバイオテクノロジーというのが流行っていたんですね。この畑にすごい作物を植えたら、すごいんじゃないかな、と。そういう作物を研究しようと思って、大学に入って、大豆の研究をしていました。イソフラボンが多いとか、少ないとか、遺伝子を組み換えたりとか、科学的なこともしていたんですが、自分の中で腑に落ちないことがたくさんあって。

大学の農業経済の授業の中で、今ロハス志向の人たちが増えている、スローライフを求めている人が増えている、というのがあったので、じゃあ別に、作物というものを仲介しなくても、使いたい人が使えるようにしていけばいい、という発想を持ったのが最初だったんですね。ただ調べていくとそれはなかなか出来ないということが分かってきたので、一旦勉強しながら就職しようということで、就職しました。…一年で辞めてしまうんですけれども。で、京都に帰ってきて、いろいろなところで「農地を貸し借りできる仕組みを作りたいんです」と言ってまわっていました。行政や、農家さんや、大学やいろいろなところにいっているうちに、一人の人との出会いがありました。

それが、マイファームを一緒に作ることになる岩崎さんです。その頃岩崎さんは一人目のお子さんが生まれたところでした。そして、土に触る機会がほとんどない。週末に、のんびりと畑をやりながら過ごせるような場所がほとんどない、と考えたそうです。

そこで僕の話を聞いて「ぜひ使いたい」と。 当時、僕は「使っていない畑をなんとか使いたい」という気持ちが強くて、岩崎さんは「子どもの教育としての畑という場というのが、あるべきなのに無いぞ」と考えていて。 じゃあ二人でやろうか、と。ハードな部分と、ソフトな部分が一緒になって、今の形になっています。それから会社を立ち上げたんですが、最初はかなり大変でした。いちばん最初のところで言うと、果たして本当にニーズがあるのか、というのはあったものの、とはいえまずは場所から探さなければいけないと、京都市内の農家さんをまわっていたんですが、なかなか話も聞いてもらえなくて。どうしようかなと思いながら、何とかして農地法を抜けられないかということなどを、結構調べましたね。おそらく、世の中で僕は10番目くらいに農地法に詳しいと思うのですが(笑)、調べて、勉強して、これだったらいける、というのを探し当てました。そして、農家さんを探しているとき、たまたま、JAの偉い方と「おもしろいじゃないか」という話になり、休耕地を持っている農家さんを紹介してもらい、話が始まった、というのがいちばん最初ですね。 これが起業の経緯です。

大和田:「農地を借りたんですか?」

西辻:農地は、借りていないんです。農家さんが家から500メートルくらい離れたところに農地を持っていて、そこを使ってないから、使っていいよ、と。農家さんに、何故農業が出来ないのかと聞いていくと、「遺産で受け継いだけれども自分は畑はやりません」、という人が非常に多いんです。でも畑を続けないと、大変なことになるんです。
(→※市街化区域の農地(生産緑地)の場合、農地としての利用でなくなった時に固定資産税が上がり、市街化調整区域の農地の場合、耕作放棄によって田畑が荒れると周辺農地に迷惑をかけて大変になる。)

だから、農家さんをサポートする人が必要なんだと。農家さん、また農業始めてください。体験農園というものだったら、貸し農園、市民農園じゃなくて、農業として運営できます。それに、農地法もクリアできます。でも、農家さんだけでは体験農園の契約とか募集とか見回りとか大変なので、そこはうちがサポートします、と。そういうやり方、つまり農家さん自身が運営するというスタイルで、始めました。ただその仕組みを理解してもらうのも、農政部に説明に行くのも大変でした。三年前の話です。東京の方は、白石さん(→※東京都練馬区で練馬方式と呼ばれる農業体験農園を営んでいる都市農業家)が行政の方と繋がっていて、かっちりした体験農園のスタイルができあがっているんですが、関西はそういうのが無かったので、僕たちが「体験農園とはこういうものです」と作ってあげる必要があったんです。でも、東京には「体験農園をやりたい」という人がいますが、東京に比べると関西にはそういう方は少ないんじゃないかと。やっぱりビルが並んでいると、より農業に飢えるんじゃないですか(笑)。特に、京都は「京野菜」というブランドがあって、ある程度農家さんが儲かっているので難しいんです。京都の九条ネギはすごいです。例えば、1000平米の耕作放棄地がある場合、東京では駐車場がライバルなんです。駐車場にするか、体験農園にするか、といったふうに。

でも、関西の方だと九条ねぎの産地にするか、体験農園にするか、なんです。そうすると、体験農園は九条ねぎに負けちゃうんですよ。京都に九条ねぎ専門の卸業者さんがあって、東京のラーメン屋さんに九条ねぎを卸しているんです。その業者さんは畑を、先に一反500万円で契約していて…そこにはなかなか勝てなくて。農家さんにとっても、体験農園というややこしい方法じゃなくて、九条ねぎを育てるのほうが分かりやすいですしね。

今はこのスタイルでやっているところと、特定農地貸し付けをやっているのが一箇所。 あとの二箇所は、年末の改正農地法によって借りられるようになりました。 滋賀県と京都で一箇所ずつ、ですね。
体験農場がほとんどで、この運営主体は地主さんです。 地主さんに、マイファームという名前を付けてくださいね、とお願いします。 だから僕らの権利はすごく弱いんですよ。
僕らは、いわばJTBに近いかもしれません。旅行会社+ビル管理会社。そんな感じですね。